容姿差別論
1 容姿による区別は差別である。
- 容姿差別は、人種差別や男女差別、部落差別と同様、社会から消滅すべきものである。
- 政府は容姿差別の解消に向け、社会に積極的に介入すべきである。
2 容姿差別を、「才能」という言葉で正当化することはできない。
- 「才能」という言葉で論者が意味しているものは何か?
- 「才能」という言葉を、「生得的な有利な属性」という記述的な意味で使うなら、人種や性別、出身地域も「才能」になってしまう。
- 他方、「才能」という言葉を、「生得的な有利な属性であって、かつ、それに着目して区別することが容認されるもの」という規範的な意味で使うなら、「容姿は才能だから差別ではない」というのは単なる同義反復となる。
- 結局、「才能」という言葉は、「差別でない」という結論を表すものであって、差別でないことの根拠を示すものではない。
3 差別とは何か?
- 差別とは、(1)選択・変更が困難な属性に関して、(2)目的関連性のない区別を行うことである。
- 容姿による区別は(1)と(2)の双方を充足するので、差別である。
- 人種差別や男女差別、部落差別が不当なのも、これらを充足するからである。
- 選択・変更が容易な属性に関する区別は、差別ではない。
- たとえば、<従業員の雇用に際し、髪型や服装を条件とすること>は一般には差別ではない。
- ただし、<髪型や服装が、個人の変更困難な信条に基づくものである場合>は、差別に該当する可能性がある。
- 選択・変更が困難な属性に関する区別であっても、目的との関連性があれば差別ではない。
- たとえば、身長は選択・変更が困難な属性であるが、<バスケットボールのプレイヤーを選抜する際に、候補者の身長を考慮すること>は差別ではない。バスケットボールの試合で勝つことと、高身長のプレイヤーを確保することとの間には、合理的関連性があるからである。
- 目的の妥当性は、それ自体として評価されるべき問題であって、差別の問題ではない。
- ある属性に着目した区別が差別に当たるかどうかは、区別の目的との関係で相対的に決まる。
- たとえば、人種による区別は一般には差別だが、<紫外線が皮膚に与える影響を調査する際に、白人の被験者と黒人の被験者を別々に募集すること>は差別ではない。目的との関連性があるからである。
- 目的関連性の判断は、当該属性に対する社会的評価を前提にしたものであってはならない。
- たとえば、<黒人差別が一般的な社会において(60年代のアメリカ南部を想定されたい)、≪黒人がウェイターだと客が寄り付かない≫という理由でレストランの経営者が黒人の採用を拒否すること>は、仮に≪…≫が事実であっても、差別であり、容認されない。
- このような論法は、要するに、他人による差別の存在を根拠として自己の差別を正当化しようとするものであり、こうした場合にこそ政府は差別の是正に向けて積極的に介入すべきだからである。
- 全く同様の理由から、<美人に対する肯定的評価が一般的な現代社会において、≪美人をアナウンサーにすると視聴率がかせげる≫という理由でテレビ局がアナウンサーの採用に際し候補者の容姿を考慮すること>は、≪…≫が事実であるかどうかに関わらず、差別である。
- アナウンサーに限らず、客商売一般の採用に際し候補者の容姿を考慮することは、同様に差別である。
- 容姿に着目して区別することの目的関連性が、容姿に対する社会的評価を前提にせずに説明できるようなケースは、ほとんど想定されない。
4 したがって、容姿による区別は差別である。