外交と国益、そして公共的議論の一般性

  • 「日本はもっと外交の場で国益を主張すべきだ」と言う人々がいる。こういう人々は、タカ派政治家の強硬な発言に拍手喝采し、「ああいうことを外交の場で主張してほしい」と願うのである。
  • しかし、外交の場で国益を主張することは、国政の場で選挙区の利益を主張することと同じである。「俺の選挙区に道路を作れ!線路を引け!リニアを通せ!」という国会議員の主張は、国民一般にはエゴとしか映らない。外交の場で国益を強調するのも、同様の下策である。
  • 外交とは、平和や人権、環境保護や貧困削減といった、国際社会のメンバー誰もが同意せざるを得ないような、普遍的・抽象的大義を掲げつつ、実際には自国の国益の実現を目指すというゲームである。だから、巧みな外交においては、自国の国益は主張されない。国民はこのことを了解しておく必要がある。
  • これは実は、外交に限らず、公共的議論全般に妥当することである。公共的議論に参加する者は、自己の個別利害を一般的・抽象的理念に巧みに忍び込ませることが要求される。これは、卑怯でも卑劣でもない。そもそも公共的議論とはそうしたゲームなのである。