責任と原因(はてな匿名ダイアリーから転載)

1 「いじめでは、いじめられる側にも責任がある」

2 「いじめでは、いじめられる側にも原因がある」

このふたつの主張は、頭の悪い人(もっと詳しく言うと、言葉を論理的に使用できず、もっぱら感覚的に使用する人)には、ほとんど同じ主張のように聞こえるらしい。

でも、両者は全く別のことだ。

1は、非常識な主張で、まず人々の賛同を得ることはない。いじめでは、やはりいじめる側に責任がある。いじめられる側はどこまでも被害者で、非難されるべきは加害者だ。そう考えるのが良識ある大人のコンセンサスだ。その結果、1のような主張を公けの場で行うと、四方八方から袋叩きに合う。至極当然だ。

これに対し、2は、当たり前のことを述べているだけだ。いじめを行う人は、いじめる相手をくじ引きで選ぶ訳ではない。性格、体格、学力、その他何らかの属人的な特徴に着目して、いじめる対象をセレクトしているのだ。だから、いじめられる側にも勿論原因がある。責任はないが、原因はある。

責任に対応するのは、非難とか、制裁とか、そういった事柄だ。

原因に対応するのは、再発の予防とか、対策とか、そういった事柄だ。

不幸なことに、両者はしばしば混同される。その結果、次のような困った事態が生じる。

<ケース1:話し手が混同>

事件の原因を分析すべきところで、あたかも被害者にも責任があるかのような発言をして、傷ついた被害者を更に傷つけてしまう。 

<ケース2:聞き手が混同>

話し手は本当は原因の話をしているのに、聞き手が責任の話をしていると勝手に誤解し、話し手を袋叩きにしてしまう。

その結果、話し手は萎縮し、事件の原因や対策に関する建設的な議論が行われなくなる。

<ケース3:話し手も聞き手も混同>

もうぐちゃぐちゃ←いまココ